◆夏の行事、お盆・盂蘭盆会(うらぼんえ)(十三)

◆◇◆「お盆」「盂蘭盆会(うらぼんえ)」、「五山の送り火(大文字焼き)」

八月十六日夜、京都の夏の風物詩であり夏の夜空を彩る「五山の送り火」が、京都市街を取り巻く山々で営まれる。多くの人が、ゆく夏を惜しみながら、送り 火に手を合わせる。

当日の午後八時、大文字山(東山如意ヶ嶽、左京区)の「大」に火が灯され、それに続き「妙法」「船形」「左大文字」「鳥居形」のかな文字や図形が、次々 と山上に浮かび上がる。漆黒の夜に、オレンジ色の炎の文字がつくり出す幻想的な世界が京の街を包みむ。

「五山の送り火(大文字焼き)」は、盆に迎えた先祖の霊を見送り、無病息災を祈る精霊送りの伝統行事である。大文字の火が消えると火床から「炭」を取り 出そうと多くの人(無病息災を願う人)が殺到するそうだ。(※注1)。

◆◇◆「お盆」「盂蘭盆会(うらぼんえ)」、「精霊流し」

八月十五日夜、長崎市・佐世保市で、お盆の伝統行事「精霊流し」が営まれる。夕刻から、いくつもの灯篭を飾った精霊船、藁で供物を包んだこも船が運ば れ、慰霊の爆竹のけたたましい音とともに精霊船を担ぎ引く人の流れは夜遅くまで続くそうである。

長崎の伝統行事「精霊流し」は、この一年亡くなった人の霊を精霊船に乗せて「西方浄土」に送る行事で、県内各地で繰り広げられる。長崎市中心部では、爆 竹や鉦(かね)が鳴り響く中、大小さまざまな船が列をなす(※注2)。

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注1)十四・十五両日は、精霊は家に留まり、十六日の夜、家を去り、元いたところに帰ってゆく。伝統的な日本の霊魂観では、先祖の霊魂は、決してキリ スト教で説くような天国や西方十万億土の浄土といった観念的な世界ではなく、われわれの住むこの世界の中に同居して(草場の影から見守って)いるのであ る。

自分の子孫の無事安泰を確認(そのために、われわれは先祖の霊魂を接待する)したら、満足した先祖の霊魂を、今度は送り火を焚き、帰り道を照らして、霊 を送り出す。これを「送り火」といい、「盆送り」、「送り盆」などとも呼ばれる。

迎え火、送り火の習俗は江戸時代に盛んになったもので、川や海に灯籠を流す行為「精霊流し」や有名な京都に五山に炎で文字が浮かび上がる「大文字焼き」 もまた、盆の送り火の一つである。

(※注2)「精霊流し」は、家々に迎えた先祖の霊を、祀り終わって送り流すお盆の行事である。七月(新暦・旧暦)十五日夕方か十六日に行われる所がほとん どで、稀に二十日過ぎに行う例もあるそうだ。

先祖の霊(祖霊)は山や墓・寺などから迎えることが多く、川や海から迎える例は僅かである。これに対して送る場合は、迎えたときと同じく門口や墓などに 火を焚くほかに、盆棚の材料に用いた竹・真菰(盆茣蓙)や供え団子や茄子・胡瓜で作った牛馬などを辻に納めたり、それらを川や海に流すことによって先祖の 霊を送り返そうとしている例が多いようだ。

迎えてきた時とは異なる場所に送ろうとしているのは、霊の迎え・送りを統一的に捉えようとする観点からは辻褄が合わないが、それは長年にわたる他界観の 変遷や重層の結果による矛盾と考えられている。

スサノヲ(スサノオ)

 

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◆夏の行事、お盆・盂蘭盆会(うらぼんえ)(十二)

◆◇◆「お盆」「盂蘭盆会(うらぼんえ)」、柳田國男と民俗学

柳田國男は、若い頃(三十五歳頃)『遠野物語』など民間に伝わる説話を集め始める。その後、貴族院議長徳川家達と衝突して書記官長を辞めて(四十五歳 頃)朝日新聞記者となり日本各地を旅行、また国際連盟統治委員としてヨーロッパを旅行する。次いで雑誌『民族』を創刊し(五十歳頃)新しい民俗学の確立に 努める。

やがて「民間伝承の会」を設立(六十歳頃)、全国各地から集積された民俗資料をもとにライフワークともいうべき主著を刊行する『先祖の話』は終戦の年、 連日の空襲警報の下で書かれた。戦後(七十歳頃)日本の神、家はどうなるのかを憂えて「民俗学研究所」を設立、民間伝承の会を日本民俗学会に改称して会長 となる。晩年(八十歳頃)、「民俗学研究所」を解散した。

◆◇◆「お盆」「盂蘭盆会(うらぼんえ)」、柳田國男と経歴

柳田國男(1875~1962):日本民俗学の創始者であり、近代日本の生んだ思想家。明治8年7月31日に兵庫県東郡田原村辻川に生まれる。父、松岡 操は儒学者、長兄、鼎は医者、三兄、井上通泰は歌人、次弟、静雄は言語学者、末弟、映丘は日本画家として名をなしている。

1887年に上京して森鴎外宅に出入りするようになり、文学活動に入り『文学界』に詩作を発表するようになった。東京帝国大学法学科大学卒業後、農商務 省農政課に入り、農政官僚の道を進み、当時の農政学に関心を抱くようになる。

1901年(明治34年)柳田家の養嗣子となり、その後法政局参事官に転出した。その間土曜会、竜土会、イプセン会などで文学活動を続け、田山花袋、蒲 原有明、小山内薫、島崎藤村らと知り合う。

1908年九州旅行で宮崎県椎葉村を訪れ、山民の実態にふれたのが契機となり『後狩詞記』をまとめた。さらに1910年に『遠野物語』と『石神問答』を 刊行し、日本民俗学の基礎を築いた。

その後、柳田の関心は郷土研究に置かれ、新渡戸稲造、小田内通敏、松本蒸治らと郷土会を組織し、1913年(大正2年)に雑誌『郷土研究』の刊行を開始 した。1919年貴族院書記官長の要職を辞したのち、朝日新聞社客員となり、全国各地への旅行を続け、沖縄へも初めて訪れ、民俗学飛躍のきっかけをつかん でいる。

1922年、国際連盟委任統治委員に任命され、ジュネーブに赴いた。帰国後、『朝日新聞』論説員として活躍する一方、『海南小記』『明治大正史世相篇』 『都市と農村』などを刊行した。昭和十年代にかけて民俗学の理論化を行い、『民間伝承論』(1934)、『郷土生活の研究法』(1935)、『国史と民俗 学』(1936)を相次いでまとめている。

とくに民族資料の収集、分類の基準を説くとともに、民俗のなかの心意伝承を重要な領域に設定したことが大きな特色となっている。1933年(昭和8年) 九月以来、民俗学研究の中心となった木曜会を組織した。木曜会は第二次世界大戦後の民俗学研究所の活動に引き継がれた。木曜会において、その後成長した日 本民俗学者たちの数多くが柳田の教えを受けた。

1935年に還暦を迎えた柳田を祝う目的で日本民俗学講習会が開催され、これを契機として、民間伝承の会が発足し、機関誌『民間伝承』が刊行され、全国 各地の研究者を組織化する第一歩が始まっている。柳田は全国各地を旅行した際、現地で同じ関心を持つ同学の士と会い民俗学の普及に努める一方、木曜会のメ ンバーを中心として全国的な民俗調査を実施し、山村、海村、離島の報告書をまとめている。

柳田は第二次大戦中から、しだいに日本人の基層信仰に焦点を定め、1945年7月に『先祖の話』を完成し、なお『新国学談』三部作に取り組んだ。そこに は祭りや氏神、祖先崇拝、民間信仰を研究することによって、民俗学を経世済民の学として位置付けようとする気概が読み取れる。

戦後、柳田は民俗学を学校教育に取り入れることを積極的にすすめた。そして1949年(昭和24年)に民間伝承の会は日本民俗学会と改称され、柳田は初 代会長となった。戦後の柳田の思想の軌跡は、日本民族と稲作の伝来のルーツをつなげる『海上の道』であり、死の一年前にその構想が大著となって公刊されて いる。

柳田の半生は、終始一貫、民俗学を通して日本人の人生観、世界観を探ることにあり、その業績は日本研究の根幹に関わるものとして高く評価されてい る。(日本大百科全書より)

スサノヲ(スサノオ)

 

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◆夏の行事、お盆・盂蘭盆会(うらぼんえ)(十一)

◆◇◆「お盆」「盂蘭盆会(うらぼんえ)」、柳田國男の霊魂観『先祖の話』

「柳田國男がライフワークともいうべき『先祖の話』(全集文庫版の第十三巻)を執筆したのは、空襲警報の下だった。昭和二十年の五月から敗戦後の秋にか けてである。柳田の慧眼は、いまの“靖国”をめぐる混乱を鋭く見抜いていたというほかない。

『先祖の話』は、日本人の古来の霊魂観や死生観を取り上げこう書いていた。〝少なくとも国のために戦って死んだ若人だけは、何としてもこれを仏徒のいう 無縁ぼとけの列に、疎外しておくわけには行くまいと思う〟。敗戦濃厚となった日々、国難に殉じた人びとのタママツリ(魂祭り)に強い危機感をおぼえたのだ ろう。

柳田は、国ごとに常識の歴史というものがあるといい、民族の年久しい慣習を無視しては英霊は安んじて眠ることはできないと心底憂えていた。(中略)〝人 は死ねば子や孫の供養や祀りを受けて祖霊に昇華し、故郷の村里をのぞむ山の高みに宿って、人や家や国の幸福や繁栄を見守る〟というのが柳田の霊魂観だっ た。」

産経新聞の産経抄(平成十四年八月十五日)より抜粋

民俗学の父・柳田國男(※注1)は、敗戦が色濃くなった昭和二十年五月から、日本の行く末を心配し、『先祖の話』(※注2)を一気に書きあげたそうだ。 先祖を大切にする心があれば、戦後の混乱にも、けっして日本人であることを失うことはないと考えたのであろう。

そのためには先祖のことを書いておかなければならない、という思いが遺言のように込められているようだ(※注3)(柳田國男は、戦争に敗北後、日本がア メリカの統治下に入ることを予期して、日本人の自己認識(アイデンティティ)を保持しておこうと考えたためと言われいる)。

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注1)日本全国の古来の様々な風習、伝統といったものが日本の近代化によって急速に消滅していくなか、柳田國男が切り開いた民俗学は、忘れかけていた 伝統的な日本のよさと祖先たちに代表される日本と日本人の本質(古きよき日本を理解する上で極めて重要かつ多様な問題)を甦らせる。

柳田の半生は、終始一貫、民俗学を通して日本人の人生観、死生観、世界観、宇宙観を探ることにあった。彼の作品に綿々とそのことが綴られている。柳田の 業績は日本研究(日本学)の根幹に関わるものとして高く評価されている。

(※注2)柳田國男は、第二次大戦中から、次第に日本人の基層信仰に焦点を定め、昭和二十年(一九四五年)七月に『先祖の話』を完成し、なお『新国学談』 三部作に取り組んだ。そこには祭りや氏神、祖先崇拝、民間信仰を研究することによって、民俗学を経世済民の学として位置付けようとする気概が読み取れる。

(※注3)柳田國男は『先祖の話』のなかで、死者が「帰る山」について、次のように語っている。「無難に一生を経過した人々の行き処は、是よりももっと静 かで清らかで、此世の常のざわめきから遠ざかり、且つ具體的にあのあたりと、大よそ望み見られるやうな場所でなければならなぬ」。

かつて私たちは、確かな死後の世界を持っていた。それは、「人は死ぬと山へ帰る」と。だから「いずれは私もあのお山へ帰っていくのだ」と、村の周囲にひ ときわ秀でたそのお山を崇拝したのである。現代人は死のイメージを持たなくなったようだ。生も死も本来は自然のものだ。

ところが生命科学の発達とともに、驚異的な勢いで人手に移ってしまった。生死は儀式であり祭りであり、他界への出入り口であったのである。その豊穣なイ メージを喪失したところに、私たち現代人の“生の不安”の根源がある。

スサノヲ(スサノオ)

 

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◆夏の行事、お盆・盂蘭盆会(うらぼんえ)(十)

◆◇◆「お盆」「盂蘭盆会(うらぼんえ)」、日本人の先祖観と先祖祭り

民俗学を創始した柳田國男によると、「先祖の霊は神となって、子孫のために作物が豊かに稔ることを見守ってくれる。だから、作物が取れたら、それを供物 として祖霊神に捧げ、共に喜びを分かち合って、これを共食し、新しい年の豊穣を祈る。豊穣を祈る祭りは、そのまま祖霊を祀ることになる」と説明している。

日本人は、食物が新たに稔るのを祈る事と、神や祖霊を迎え、共に過ごすことを、一心同体として、年中行事や祭礼の中に伝承してきたといえる(※注1)。 また、十五日は、太陰暦の時代はこの日は満月であり、昔は明るい夜を提供してくれる満月の夜に様々な祭りが催されていたのである。「お盆」もそうした古い 祭りの一つなのかもしれない(※注2)。

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注1)民俗学からみた日本人の霊魂観によると、人が亡くなった後の魂は三つの段階を辿るそうだ。(1)死霊と荒魂、(2)祖霊と和魂、(3)神霊と氏 神の三段階です。

(1)死霊と荒魂については、人がなくなるとその魂は、不安定な「死霊」となって家の付近を彷徨うと信じられている。ときには生きている人に害を及ぼす こともあるので、荒々しい魂という意味の「荒魂」とも呼ばれる。そこで家の人は死霊を大切に鎮める必要があり、仏教の追善供養や神道の鎮魂・慰霊祭が営ま れる。死霊(荒魂)は、大切にお祀りをしてもらうと、その家のわざわいを除き、幸福をもたらしてくれる除災招福の力がある、と信じられている。

(2)祖霊と和魂については、ほとんどの家では、追善供養を仏教で行う。最初が「四十九日」で、七日ごとに七回お寺に法要をしてもらいう。次が百日目、 あとは一周忌、三回忌、十三回忌という風に、すこしずつ間をあけながら仏壇やお墓で供養する。こうして死霊は、年月とともに荒々しさも消え、安定し、やが てなごやかな魂という意味の「和魂」とよばれる家の祖霊となって行く。祖霊は家族や子孫に災いや害を及ぼすこともなくなり、むしろ繁栄と恩恵をもたらすと 考えられている。

(3)神霊と氏神については、家族の供養をうけて三十年ほどすると、祖霊は血縁の家を離れ、個性を持たない霊になると信じられた。祖霊は、同じ地域(地 縁)の神様の仲間に入るので「神霊」とよばれる。これが村の「氏神様」である。鎮守の森(神社)では、村中で氏神様をお祀する。氏神様は村全体の繁栄、と くに農業が中心だったころは豊作(五穀豊穣)をもたらし、人びとの安全や願いを叶える一方で、人々の生き方によって天災をもたらす、恐ろしい一面もある。 ちなみに三十三回忌または五十回忌が終わると家の供養から完全に離れるので、「弔い切り(問い切り)」といって、戒名を書いた位牌を処分し、お墓を倒す 「墓だおし」を行うところもあるそうだ。

(※注2)「日本では祭というたった一つの行事を透して(通して)でないと、国の固有の信仰の古い姿と、それが変遷して今ある状態にまで改まってきている 実情は、窺い知ることができない。その理由は、諸君ならば定めて容易に認められるであろう。現在宗教といわるるいくつかの信仰組織、たとえば仏教や基督教 と比べてみてもすぐに心づくが、我々の信仰には経典というものがない。(中略)説教者という者はなく、少なくとも平日すなわち祭でない日の伝道ということ はなかった。以前は、専門の神職というものは存在せず、ましてや彼等の教団組織などはなかった。(中略)その教えはもっぱら行為と感覚とをもって伝達せら るべきもので、常の日・常の席ではこれを口にすることを憚られていた。すなわち年に何度かの祭に参加した者だけが、次々にその体験を新たにすべきもので あった。温帯の国々においては、四季の循環ということが、まことに都合のよい記憶の支柱であった。」(『柳田國男全集十三』ちくま文庫「祭から祭礼 へ」)。

スサノヲ(スサノオ)

 

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◆夏の行事、お盆・盂蘭盆会(うらぼんえ)(九)

◆◇◆「お盆」「盂蘭盆会(うらぼんえ)」、日本人の宗教観、農耕民族と農耕儀礼

日本は農耕民族であり、生業儀礼=農耕儀礼となっていることが多いようである。農耕儀礼は、世界的にみて復活と豊饒の儀礼だ。農業儀礼の特徴として、収 穫サイクルがきっちり一年であることがあげられる。しかも、年中行事という形で、農業のサイクルに応じて多数の農耕儀礼が現在も残っている。

日本の場合、さらに農耕儀礼=稲作儀礼になっていることが多いようである。小正月の予祝儀礼(※注1)のほか、田植え近くには田の神を祀る行事があり、 水口祭(種まきのときの祭り)とか社日(春分・秋分の日に最も近い戊の日のこと、春秋の神の去来をみる日)、田の神降りなどが行われ、植物が育つ夏には病 虫害を防ぐ虫送り、人形送りなどが行わる。

ところが、七夕とお月見は、稲作儀礼ではなく、畑作儀礼出身の行事のようである。稲作の収穫儀礼は十月十日頃(旧暦)に行われる刈り上げ祭りというもの らしいだが、お月見に比べ一般的ではない。

中秋の名月は八月十五日(旧暦)の月のことで、芋名月と呼んで畑で取れた作物を月に供える。九月十三日(旧暦)の栗名月(豆名月)には栗などを供える。 中秋の名月は里芋の収穫祭と考えられているが、九月十三日の十三夜(後の月、栗名月、豆名月、女名月とも呼ばれて、十三夜の風習は中国にはなく、日本独自 のものである)も、民間では収穫祭が行われる。

日本の農耕関連の儀礼は正月ではなく、旧暦一月十五日の小正月に集中している(※注2)。十五日(望月)は、太陰暦では満月であり、農耕儀礼が多く行わ れる。暦の上で正月と対になるのは、通常お盆と考えられていますが、大陸の方では中秋である。

どちらも旧暦十五日、満月の日である。月見については、いまでは中秋のものだけが特別扱いされるだけだが、もともとは毎月の満月が特別な節目(祭り、ハ レ)で、民衆にとっては、毎月の中心は満月の夜であったのだ。

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注1)予祝儀礼とは、年初などに神霊に豊かな収穫を祈願するものである。小正月に、麦の畝を三列作って松を立てて拝む、麦団子を作って食べる麦正月な どが知られていた。また九州など南方では里芋を神棚に供えるなど、里芋の儀礼が多く伝わっている。これら農業関連の予祝儀礼は、元旦ではなく、満月にあた る小正月に多いのが特徴である。

この予祝儀礼に対応する、秋の収穫儀礼が盆と中秋の名月にあたる。いずれも満月の日だ。旧暦八月十五日は米の収穫にはちょっと早いようだが、もともと南 方の里芋の収穫儀礼の日時である、という大林太良氏らの有名な説が最近は主流となってきている。

稲作の収穫儀礼は十月十日前後の刈り上げ祭が祭りらしいのだが、畑作の収穫儀礼である中秋の名月や盆に比べるとどうも一般的ではない。

(※注2)朔正月を大正月というのに対して、十五日正月を小正月という。大正月が公式の儀礼ばった行事が多いのに対し、小正月は生活に即した行事が多いよ うだ。昔の生活は、月明かりを利用することが多かったからか、闇夜の大正月より望(もち=満月)の小正月の方が親しみやすく、大昔の生活の上ではむしろ小 正月が年の境目であったのではないかともいわれている。

小正月に行われる行事は、削りかけ、成らせ餅などのモノツクリ、農耕を模して豊作を予祝する庭田植え・成り木責め・鳥追いのほかに、小豆粥を食べ、夜は ナマハゲなどの異様な訪問者があったり、これらはすべて農耕儀礼と見ることができ、年占や呪術的な要素が強いことが注目される。

スサノヲ(スサノオ)

 

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◆夏の行事、お盆・盂蘭盆会(うらぼんえ)(八)

◆◇◆「お盆」「盂蘭盆会(うらぼんえ)」、日本人の固有の宗教観や霊魂観

お盆行事(祭り)には、三つの要素があるといわれている。それは、祖霊の祭り(死者祭祀)、豊穣の祭り(穀霊祭祀)、魂の祭り(生命の更新)である。こ の三つの要素が繋がりあるものとして受け取られてきたのが、日本人の古くからお盆行事(祭り)に対する考え方だったとされている(※注1)。

そして、「盆と正月が、一緒に来る」と言う言葉がある様に、年の始まりには、二つあり、一つは稲作を中心としたもので、正月を年の初めとするものだ。歳 神を迎えて米などの穀物を捧げ、新年の豊穣を祈る。

もう一つは、蕎麦や芋などの畑作を中心としたもので、旧暦七月のお盆の時期が、二つ目の年の初めとも考えられてきたといわれている。このことから、昔 は、一年を二つに分けて考えていたようなのである(※注2)。

今でも、お盆には、喬麦や芋を供物として捧げる民俗が伝承されており、「お盆」を芋正月いう地方もある。この二つの豊穣を祈る祭りと、祖霊を迎え祀る祭 りが、複合されたと考えられている。豊穣をもたらす神は、すなわち祖霊でもあったのだ。これらは、なぜ一体のものとして考えられたのであろうか。

先祖の霊は神となって、子孫のために作物が豊かに稔ることを見守ってくれる。そのことから、作物が取れたら、それを供物として祖霊神に捧げ、共に喜びを 分かち合って、これを共食し、新しい年の豊穣を祈るのである。豊穣を祈る祭りは、そのまま祖霊を祀ることになるというのが、一番分かりやすい解釈だ。

食物が新たに稔るのを祈ることと、神や祖霊を迎え、共に過ごすことを、一つのことのように過ごしてきた昔の人々の姿が、年中の祭礼の中に生きてきたので ある。

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注1)農耕民族である我が国において、正月と盆の行事は、年中行事の中で最も重要なものである。正月は歳神(トシガミ)の来臨を願いこれを祀り、一年 の農耕生活の安泰を祈ろうとすることと、一年の行事を儀礼化して演出し、類感呪術・模倣呪術によって豫期の収穫を得ようとする行事や、年穀や天候の吉凶を 占う行事を中心にして、種々の呪術宗教的な要素を以て構成されている。歳神のトシは時間の区切りとしての「年」であるとともに年穀の稔(トシ)でもあり、 したがってこの神は穀物霊、ことに稲霊から発達した農耕神と考えられている。

すなわち、秋の収穫が終わって次の蒔種期に至る中間、そして太陽が南行の極みに達して北行に変わろうとする境目において、穀霊の活力の復活を祈り、豊か な稔りを期待する呪術的・祈祷的な儀礼行事として始まったものと考えられる。しかし他面、この神をミタマサマといい、供飯をミタマノメシと呼び、さらには 「佛の年越」「先祖正月」として家の先祖の霊を迎え祀るところの多いのを見ると、この神は先祖霊としての性格も持っており、七月の盆行事に対する祖霊祭祀 としての色彩も濃いようだ。

(※注2)お盆は、七月十五日(旧暦)を中心に営まれるが、太陽暦採用後は、八月十五日を中心にする地域が多く、元来は七月の行事であったのである。お正 月の行事は、大晦日から元旦を中心に営まれるものと、十四日夜から十五日にかけてを中心にするものと、二つに分けることができる。前者は、一般に大正月、 後者は小正月と呼ばれていた。お盆は、期日の上では小正月と対応している。即ち、ともに十五日を中心にし、元旦と釜蓋朔日、七日正月と七夕、御斎日(一月 十六日と七月十六日)、二十日正月と裏盆というよう対応している。

このことから、日本の年中行事は、かつては一年を単位とするのではなく、一年の前半の行事を後半の七月から十二月までもう一度繰り返す構成を取っていた のではないかと考えられている。また、六月と十二月の晦日(みそか)には、天下万民の罪や穢れを祓う大祓が恒例となっている。旧暦の六月の晦日には、夏越 の祓というのもあるのだが、半年をはさんで類似の行事が多いのは、古くは、夏至と冬至で一年を二分する考え方(陰陽でいえば隠遁と陽遁)が強かったからだ と思われる。

スサノヲ(スサノオ)

 

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◆夏の行事、お盆・盂蘭盆会(うらぼんえ)(七)

◆◇◆「お盆」「盂蘭盆会(うらぼんえ)」、「盆と正月」日本の二大年中行事

「お盆」は、仏教固有の行事のように考えられがちだが、そうではない。ここに、日本人の不思議さと日本文化の独自性があるような気がする。「お盆」は、 正月行事などと同じように、日本人の固有の宗教観や霊魂観と、仏教でいう供養の概念が融合して、「お盆」といわれる行事になったとされている。

また供え物を載せる容器を、かつては盆といったことから、この行事を「盆」というようになったとの説もある(盂蘭盆会から来ているとの説もあるが…)。 いずれにしても、「お盆」は、日本人にとっては、「お正月」と同様に、祖霊の御霊を祀る大切な行事として、受容してきたのだ(※注1)。

日本人は昔から、お正月やお盆に、先祖の祖霊を迎えて供養するために、色々な慣習や儀礼を伝承してきた。そうした習慣や儀礼は、意識しなくとも今の私た ちの生活に深く溶け込んでいる。なにげなく、習慣として受け入れられている「お盆」には、どのような意味があるのかを考えることは(考察することは)、日 本と日本人の基層(日本学)を知る上で大変重要なことである。

お盆の行事も、正月行事同様、地域ごとに違いがあるが、本来の意味においては大きな違いはない。「お盆」は、祖霊がお盆の期間だけ家に帰って家族共々過 ごし、再びあの世に旅立つまでの間の行事(祭り)という意味においては…(※注2)。

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注1)「盆と正月が一緒に来たよう」という言葉があるが、まさにお盆とお正月は日本の年中行事の双璧をなす重要行事である。お正月は、室内外に注連飾 りをしたり神社に参拝するというように神道的色彩の濃い行事である。しかし、お盆は、仏壇に供え物したり墓や寺に参る仏教色の強い行事とみなされている。

しかし、この二つの行事には以外に類似する点の多いことに気付かされる。そして、実は双子の様な行事なのだ。古い正月は一月十五日である。そしてお盆は 半年後の七月十五日(旧暦)だ。ちょうど半年を隔てた日付で、行事の内容も大変類似したものが多く存在する。

例えば、門松と盆花、正月の灯明と盆の迎え火、七日正月と七夕、どんど焼きと送り火、追儺・節分と茅(ち)の輪くぐり、盆のお供えとお節料理などな ど…。このようにお盆とお正月の類似から、古代には、年の初めの行事が二回あったことが窺える。すなわち春の初めの満月の夜と秋の初めの満月の夜に、祖霊 が来臨し、人々は、その年の豊穣を祈っていたと考えられるのだ。

二度ある祖霊祭り・魂祭りの区別をするため、夏の場合、先祖に供える供物を載せる器の盆をそのまま行事の名として用いられたともいう。現在では盆は仏教 色が強く、正月は神道色の強い行事となっているが、これは仏教が広がって以後のことで、昔はどちらも先祖の霊を祀る大切な行事であった。今でも正月に墓参 りをする地方は多くある。

(※注2)大晦日(おおみそか・おおつごもり)には、近くの神社で年越しの大祓があり、毎年、茅の輪(ちのわ)くぐりをして半年間のお祓いをする。同じよ うに、旧暦の六月の晦日には、「夏越の祓(なごしのはらえ)」というのもあるのだが、半年をはさんで類似の行事が多いのは、古くは、夏至と冬至で一年を二 分する考え方(陰陽でいえば隠遁と陽遁)が強かったからだと思う。

同じことが、正月についてもいえる。よく「盆と正月が一緒に来た」などといわれるように、お盆もお正月も「魂祭り(みたままつり)」がもともとの起源の ようだ。お正月は、歳神を迎える行事だが、歳神とは、祖霊のことである。お年玉なども、もとは年魂(としだま)といって、歳神が新しい生命力(魂)を授け てくれることであった。

冬至から次第に昼が長くなってくること、また再び春を迎えられることに生命力の復活を感じ、感謝する節目がお正月の時季なのである。お盆の迎え火・送り 火に対して、お正月はどんど焼き(左義長)などの火祭りがある。

スサノヲ(スサノオ)

 

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◆夏の行事、お盆・盂蘭盆会(うらぼんえ)(六)

◆◇◆「お盆」「盂蘭盆会(うらぼんえ)」、さまざまな「お盆」行事

民間における「お盆」の行事として例えば、「盆竈(ぼんがま)」(※注1)「迎え火」「送り火」(※注2)「精霊棚」「盆棚」(※注3)「精霊流 し」(※注4)「送り火」「盆踊り」(※注5)「盆堤灯」「盆花」なども、先祖の霊魂を迎え、供養する意味が含まれている。

お盆の墓参りの花には、多くの場合、「ほおずき」の花が入っている。一説では、「ほおずき」は、その形が、堤灯に似ているところから、十三日に、先祖さ まを迎える、「御魂(みたま)」の目印の「迎え火」や、その簡素化された形としての盆堤灯の意味があるとされている。お盆のお墓参りの花一輪にも、我々日 本人が、受け継いできた伝統や習俗に無関係ではないようだ。

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注1)盆竈:お盆に、野外に臨時の竈を築いて煮炊きをし、飲食をする行事である。辻飯、門飯、川原飯、餓鬼飯、お夏飯ともいう。期日はお盆の十四日が 普通で、十五日にする所もある。外竈を設けて飲食することは、正月小屋や三月小屋と同じく別火生活の名残りとされ、神祭りの資格を得るために、家族から隔 離し、清浄を保つための手段であったようだ。多くは女児中心の行事である。「盆のままごと」ともいい、今日の「ままごと」遊びは、外竈の印象を留めたもの と考えられている。

(※注2)迎え火と送り火:盆の入り(十三日)の夕方、家の前で火を焚き祖先の霊を迎える。盆の十三日夕方が多いが、お盆の期間中毎日焚く所もある。これ が迎え火だ。

盆明け(十六日)の夕方に火を焚いて祖先の霊を帰す。お盆の終わりの感傷からか、迎え火よりも火にまつわる行事は豊富である。これが送り火だ。盆送り、 送り盆などとも呼ばれる。

迎え火、送り火の習俗は江戸時代に盛んになったもので、川や海に灯籠を流す行為や京都の大文字の送り火もまた、盆の送り火の一つである。

(※注3)精霊棚・盆棚 :お盆の精霊祭りのために家ごとに設けられる臨時の祭壇のことである。お盆の期間中に精霊棚(しょうりょうだな)、先祖棚、盆棚などという棚を作って、位 牌、線香、花、野菜や果物、団子などを供える習俗があったそうだ。

精霊棚は先祖を祀ったものだが、同時に餓鬼棚(がきだな)と呼ばれる無縁仏を供養する棚もあったそうだ。この棚は別に作るところもあり、また精霊棚の下 に食べ物を供えるだけのところもあったそうである。

今と違って昔は行き倒れて亡くなる人も多く、そういった祀られることのない身元のわからない霊魂は人々に様々な災難をもたらす物と畏れられていたこと が、餓鬼棚で無縁仏を弔うという習俗を生んだのであろう。

現在は精霊棚や餓鬼棚などを作るところは少なくなっているが、季節の野菜や果物、団子などを供える(ナスやキュウリで馬を作って供えるのもその変形)な どの行為は、まだ多くの地方で行われているようだ。

(※注4)精霊流し:家々に迎えた先祖の霊を、祀り終って送り流すお盆の行事のことである。送り火の一種で、船にしつらえた灯籠を川や海へ流しこの灯籠と 一緒に盆に迎えた先祖の霊を送り出す行為が原型だ。九州北部での精霊流しは有名である。場所によっては葦で大型の船を造って流すようなところもある。

精霊流しの際には、盆の間に供えた野菜や果物などのお供え物も流す。これは祖先の元へ供物を贈るという面と、死の世界と関わった穢れ(けがれ)を水に よって清めるという面をもったものであろう。水面に揺れる灯火には、先祖の霊を送り流そうとする気持ちが込められている。

(※注5)盆踊り:今は娯楽行事(あるいは観光用の行事?、阿波踊りなど)となっている盆踊りも元々は、盆に返ってきた祖先の霊を迎え慰め、そして返すた めの行事であった。

元来は縦に列をなして踊る形であったようだが、現在では輪になって踊る輪踊りも盛んである。輪踊りの場合は中心は精霊棚であったのであろうが、現在は太 鼓の載った櫓だったりする。

(※注)盆と藪入り:現在もお盆の時期は故郷への帰省ラッシュの時期である。現在よりも休みの少なかった時代、盆には奉公人が休みをとって実家に帰ること が出来る時期で、これを「藪入り」と称した。

この時期はまた、他家に嫁いだ女性が実家に戻ることの出来る時期でもあり、自分と自分の家(先祖、ルーツ・・・)の繋がりを確認する時期だったようだ。

スサノヲ(スサノオ)

 

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◆夏の行事、お盆・盂蘭盆会(うらぼんえ)(五)

◆◇◆「お盆」「盂蘭盆会(うらぼんえ)」、「迎え火」「迎え盆」
お盆には、先祖・祖霊(※注1)や亡くなった人たちの精霊(※注2)が燈明を頼りに帰ってくるといわれ、十三日の夕刻に、仏壇や精霊棚(しょうりょうだ な)の前に盆提灯や盆灯籠を燈し、庭先や門口で迎え火として麻幹(おがら=芋殻)を焚く。それが「迎え火」(※注3)である。

盆提灯をお墓で燈し、そこでつけた明かりを持って精霊を自宅まで導くという風習もあり、これを「迎え盆」ともいう。それぞれの「家」毎に鐘やご詠歌や迎 え火を設け、先祖の霊魂(※注4)を家の中まで招き入れるのだ。

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注1)祖霊という概念は柳田國男が提示した。柳田によると、日本人の民俗的霊魂観のうち、家を興した開発祖先の霊や、それに続く代々の子孫を養育して 死を迎え、死後直系の子孫によって四十九日とか一回忌・三回忌というように年忌法要を営んでもらいつつ徐々に浄化をはたす。

そして誰それの霊としての個性を消失させ、その家の集合的霊格ともいうべき神(もしくは先祖一般、ご先祖様)に融合昇華したと考えられる霊が、祖霊なの だ。

したがって、祖霊観念は日本人の家意識と密着しており、死後に祖霊として祀り続けてほしいが故に(すなわち無縁霊として打ち棄てられたくないために)、 人々は直系の子孫の繁栄と家の永続を願うのである。ただ、近年の家意識の変容は祖霊観にも少なからぬ影響を与えている。

(※注2)祖霊を迎えて行われる代表的行事がお盆とお正月である。家々のお盆行事の中心は祖霊との交歓にある。長野県の諏訪湖畔では「爺さま婆さま、この 明りでお出でお出で」と唱えながら墓地で火を焚き、そこから手を後ろに回して爺・婆を背負う格好をして家に戻るというが、この爺・婆には特定の人がイメー ジされているのではなく、祖先一般すなわち祖霊なのだ。

このように、あたかも眼前に祖霊の姿が見えるかのごとく、家に案内して盆棚に迎え入れる例は全国に多く、供物をし、その前で家族・一族が数日間賑やかに 過ごすのは盆の一般的光景である。

正月に迎える歳神(年神、稲魂であり祖霊でもある)の性格は盆に迎える霊より複雑であるとはいえ、祖霊としての性格も十分に認められる。このような盆と 正月の行事は、一年を両分したそれぞれ最初の月の祖先の魂祭りだと考えられている。

卯月八日(うづきようか)の神迎えや春秋の彼岸行事も祖霊をめぐる行事であり、霜月二十三夜の大師講や各地の春秋の田の神・山の神去来伝承にも、祖霊の 姿を垣間見ることができる。

(※注3)祖霊は家の神なので、氏神信仰とも深い関係にある。氏神には古来以来の変遷があり複雑多岐にわたるので、お盆のような祖霊のみで氏神信仰を理解 することはできない。少なくとも、屋敷氏神や草分け宅の祖霊を核に発展したことの明らかな村氏神は、祖霊とかなり深い関係にある。

平安時代の官人社会では、二月もしくは四月と十一月の春秋二回氏神祭祀をしていたことが明らかになっており、これは神社の祭日にも反映されているとされ ている。この際日は屋敷氏神や村氏神の祭日とも概ね一致しているので、両者の本質的同一性が確認されれば、祖霊は日本の祭りの考察に欠かせない存在となり そうだ。

(※注4)迎え火とは、お盆に先祖の霊を迎えるために焚く火のことである。お盆の十三日夕方が多いようだが、お盆期間中毎日焚く所もある。墓・辻・門口な どのどこかで焚いたり、墓で焚いた火を小さな松明や提灯に点じて持ち帰り再び門口で焚く例など、方法は各地で様々である。

燃料には麦藁・稲藁・麻幹(おがら)・松の小片・白樺の皮などが用いられている。焚くときは「おじいさんもおばあさんもこの火でござっしゃい」などと祖 先迎えの言葉を唱え、そのあと霊を背負う格好をして家に入り盆棚に落ち着かせる仕草をする所や、近くの山頂でムラ共同で杉の葉などを焚き、その煙に乗って 祖先が訪れると考えている所もある。

スサノヲ(スサノオ)

 

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◆夏の行事、お盆・盂蘭盆会(うらぼんえ)(四)

◆◇◆「お盆」「盂蘭盆会(うらぼんえ)」、先祖霊(祖霊)祭り・魂祭り

お盆の行事の中心は、家々に先祖霊を迎えて供養することにある。それに伴って訪れる様々な無縁霊・餓鬼の供養も同時に営まれる。日本の古い信仰では、御 魂には生者のものと死者のものがあるとされていた。生者の御魂を拝するほうは、宗家の主人や両親に魚などの食物を贈って祝う「生見玉(いきみたま)」の習 俗としてお盆行事の一部をなし、これは「生き盆」と称されている。

「生見玉(いきみたま)」の意識は近年衰えつつあるとはいえ、ますます盛んになる中元の贈答が生見玉への贈り物の延長だとも考えられる。また一方、死者 の御魂には仏教が強く関与し、その供養はお盆行事の中核をなしている(お盆には寺僧の関与が強く、一般には仏教行事と多くの人に理解されているが…)。

柳田國男の分析によると、お盆に祀る死者の御魂には精霊(祖霊)、新精霊(あらじょうろう)(注1)、外精霊(ほかじょうろう)(注2)の三種があると されている(注3)。

祖霊とは、その家のかつての戸主夫婦の霊で、死後年を経て浄化され穏やかになり、お盆の期間子孫に迎え祀られて家の豊産安寧を保証してくれると信じられ ている(先祖霊・祖霊は清らかな神と認識されている例が多い上、健在な両親に対して生臭いもの(魚)を供するというような反仏教的性格もある)。

現在、各地のお盆行事は複雑で、祖先の「魂祭り」が中心であるとはいえ、それに健在な親を祝う「生見玉(いきみたま)」の習俗、稲の予祝や畑作物の収穫 祭的要素、中元(七月十五日)を祝う考えなどが加わっていった。

お盆に農耕儀礼的性格のあることは、盆棚の飾りや供物に様々な畑作物や稲の青苗を用いていることからもいえる。また、中国の麦作地帯の収穫祭に源がある という中元の祝いと無関係ではないようだ。

日本のこの時期は、稲作、畑作ともに作業が一段落し、過酷な夏の暑さも峠を越えつつある時で、次に秋を控え、季節の変わり目を意識した何らかの神祭りが あったと思われる。それが民間への「盂蘭盆会」や「中元」の浸透定着を容易にすると共に、お盆行事の構成要素にもなった。

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(注1)新精霊(あらじょうろう)とは、一年ないし三年以内に亡くなったその成員であった者の霊で、死後まだ間がなくて十分に浄化されておらず、荒々しく 祟りやすいと考えられている。そのため新精霊を祀る家のお盆は期間がやや長く、祭り方全般が丁重で、それだけ寺僧の関与も強いそうである。このお盆は吉事 盆(しばらく不幸の内家のお盆行事)に対して新盆(あらぼん)・初盆(はつぼん)などと呼ばれる。

(注2)外精霊(ほかじょうろう)とは、祖先霊以外の餓鬼・無縁・法界などと呼ばれる、祀る子孫のいない諸霊のことである。招かないのに祖霊や新精霊に随 伴してくるとされ、祀り方は全般において差別されている。ただ、外精霊はお盆行事の主役とはいえないが、日本人の霊魂観を知る上では無視できない存在であ る。

(注3)死をめぐる日本人の民俗的霊魂観によると、肉体は腐敗消滅しても霊魂だけは分離してどこかに存在し続けるとしている。また肉体から分離した当座の 霊魂は荒々しいとされている。このような霊魂すなわち死霊は、放置すれば山野に盤鋸して激しく祟りをなすと考えられており、丁寧に鎮め祀れば次第に祟りを 和らげ、逆に人々を守護してくれるようにもなると考えられていた。こうした考えは、平安時代、「御霊信仰」を生み出していくのである。

スサノヲ(スサノオ)

 

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