◆秋の風情、仲秋の名月、月見と十五夜(八)

◆秋の風情、仲秋の名月、月見と十五夜(八)

◆◇◆仲秋の名月(旧暦八月十五日)、『竹取物語』とかぐや姫、「物語の出で来はじめの祖(おや)」

『竹取物語』(通称「竹取物語」、「竹取翁の物語」とも「かぐや姫の物語」とも呼ばれてきた)は、『源氏物語』絵合巻(絵合せの帖)に「物語の出で来はじめの祖(おや)なる竹取の翁」と称揚された、初期物語の代表的秀作であり、日本最初の「物語」(「昔話」など口承・伝承的なものではない作り物語‘’伝奇物語 。しかし、作者や年代を含めてその成り立ちは未だ謎)だとされている。

日本人なら誰にでもそのあらすじを知っている、我が国古典文学を代表する作品でもある。作者、成立に関わる確かな記録は残されておらず、『大和物語』にこの物語にちなんだ和歌が詠まれて以降、『宇津保(うつほ)物語』の女主人公「あて宮」の造型に強い影響を与えたほか、『源氏物語』にも多くの「かぐや姫」的な女性たちが登場するなど、後の物語文学(十一世紀成立の『栄華物語』や『狭衣物語』や十二世紀成立の『今昔物語集』など)への影響ははかりしれないものがあったようだ。

◆◇◆仲秋の名月(旧暦八月十五日)、『竹取物語』とかぐや姫、作者・成立年代未詳

『竹取物語』の書名、作者、成立、書誌、伝本には多くの謎(確かな記録は残されておらず)があり、未だにその全貌は明らかにされていない。特に、かぐや姫の誕生の場がなぜ「竹」であるのか、ということについては、隼人(海人族・海神族・南九州)の竹文化(竹民俗)との関連も指摘されているが、確固たるところは不明だ。

『竹取物語』の作者については、『竹取物語』の文体・語彙・語法・構成・難題の品などから、和歌に秀で、中国などの仏典、漢籍に深く通じ、大陸文化に造詣の深い教養人で、古来の伝承をもとにして文学的にまとめ上げるこのとできる人物と考えられている。

古くは「紀貫之(きのつらゆき)『土佐日記』」や「源融(みなもととおる)三十六歌仙」、「源順(みなもとのしたごう)『後撰集』」。書き出しの類似から「源隆国(みなもとのたかくに)『今昔物語集』」、和歌の作風から「僧正遍照(そうじょうへんじょう)六歌仙」、漢文体『竹取物語』から「空海(くうかい)」などが取り沙汰されてきた。したがって、成立年代も特定できない。

およそ『白氏文集(はくしもんじゅう)』伝来の承和(八四七年)以後、和歌の歌風から貞観(じょうがん)年間(八五九~八七六年)、さらには『古今集』撰進前後の延喜五年(九〇五年)あたりまで、諸説入り乱れているというのが現状だ。 

◆◇◆仲秋の名月(旧暦八月十五日)、『竹取物語』とかぐや姫、物語の構成要素と構造

この物語『竹取物語』にはさまざまな要素が盛り込まれているが、「竹取の翁」が竹の中から幼子を発見(竹中生誕譚)し、富を得るという致富譚(ちふたん、貧者が長者になる説話)や、「かぐや姫」が三月で成人するという急成長譚、求婚難題物と求婚者たちの名前に密接な関連を持たせながら、それら難題求婚譚の顛末を語りつつ、その最後に巧みなラストシーンが用意されている語源譚、さらに御狩の行幸・帝の求婚譚、かぐや姫の昇天譚(羽衣説話)、ふじの煙(地名起源説話)と続く構成要素と構造など、古物語の体裁を装いながら、実は古代小説の始発に位置する作品として完成度の高い内容を誇っている。

かぐや姫の誕生(竹中生誕説話)→ 竹取翁の長者譚(致富長者説話)→ 妻どい・五人の貴人の求婚(難題求婚説話)→ 御狩の行幸・帝の求婚譚→ かぐや姫の昇天(羽衣説話)→ ふじの煙(地名起源説話)

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◆秋の風情、仲秋の名月、月見と十五夜(七)

◆秋の風情、仲秋の名月、月見と十五夜(七)

◆◇◆仲秋の名月(旧暦八月十五日)、月は不死の世界(神仙思想)

日本人であれば、月と兎と言えば、餅つきが連想さる。また、中国では兎は不死の薬を搗き、月は不死の世界とされた(※注)。月は新月と満月を繰り返し、一度消えて復活することから、古代人は不死を感じたようである。日本でも、『竹取物語』には、月に不死の薬があるとされている。

かぐや姫は昇天の際、月世界に戻るため不死の薬を少し嘗め、残りを翁に渡す。翁は天皇に献上するが、天皇も不死の薬など要らぬと言って、名前も不死の山(富士山)で燃やして天(月世界)に返してしまった。この話は、人は不死を拒否したとの譬えにも取れる。

◆◇◆仲秋の名月(旧暦八月十五日)、満月とかぐや姫

「かぐや姫」という名は、「光り輝くヒメ」という名義である。これは第一に満月時の月光の謂いであろうと推察される。すなわち、満月信仰や観月民俗が「かぐや姫」誕生の前提にあったようだ。

『竹取物語』で、翁はかぐや姫を竹筒の中に発見する(『塵袋』には、竹の中に住む兎が隠岐島へ洪水で流される話が見られる)。かぐや姫や兎が竹と係わるのは、竹筒などの閉塞された空間が、神などの不可思議な存在が出現する聖なる空間であるとする考えがある(竹そのものにも驚異的成長力から、古代の人々は神秘的な力を感じていた)。

また、竹筒は、下から月を見るように見上げれば、円に見え、満月も円であることとする見方もある。また、月の斑点は一般的には兎とみる見方があるが、一方女性に見る見方も少なくない。かぐや姫はその光り輝く名義からも、月中の斑点に見出した美女が原型かもしれない。

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注)中国の信仰や習俗の底流(基層)には、中国神話と原始宗教(人類に普遍的な豊穣と再生の信仰)が見え隠れしている。中国思想は、東洋の合理的な儒教や現実主義的な道教を第一に考えてしまうが、こうした思想が中国全土を覆い尽くす以前は、非合理的で呪術的で神秘主義的なもう一つの中国があったのである。

そうした失われた太古の中国の痕跡が近年盛んに発掘され、ようやく解明の糸口が見えるようになってきた。その一つが長江流域の「長江文明(総称)」である。上流域の四川省の三星堆(さんせいたい)遺跡もそういった文明の一つだ。

中国神話では、月で不死の薬草を搗く兎の説話は、西王母(せいおうぼ、西方の仙界・崑崙山に棲むという)の神話に属し、仙界の一つが月世界であった(蓬莱山なども)。

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◆秋の風情、仲秋の名月、月見と十五夜(六)

◆秋の風情、仲秋の名月、月見と十五夜(六)

◆◇◆仲秋の名月(旧暦八月十五日)、月神・ツクヨミ命(月読命・月夜見尊・月弓尊)

『記・紀』の神代には、父神・イザナギ命(伊邪那岐命・伊弉諾尊)の左目(陽)から太陽神・アマテラス(天照大御神・天照大神)、右目(陰)から月神・ツクヨミ命(月読命・月読尊・月夜見尊・月弓尊)(※注1)が生まれたと記されている(ちなみに、スサノヲ命は鼻から生まれたと『古事記』)。このように、日月は父神・イザナギ命の両眼として描かれている。

そして、『古事記』では、父神・イザナギ命から、「汝命は、夜の食国を知らせ」と命じたとあるが、『日本書紀』(一書・第六)には、「月読尊は滄海原(あおうなばら)の潮の八百重を治すべし」とある。この話からは、海を主な生産の場とする海人族の信仰と月神との結び付きを感じさせる。

月読命(ツクヨミ命)の「ヨミ」は月の満ち欠けを読むことから、ツクヨミ命は暦日を読むことと吉凶を占う(農事を占う)ことに関係し、さらに潮汐を司る神ともされ、月と潮の満干にも関係しているとされている。以上のように、ツクヨミ命は農耕と深く関係する神であり、また航海とも関係する神でもあったわけだ。

『記・紀』神話の中では、月神・ツクヨミ命は、穀物神・ウケモチ神(保食神)のもてなしの仕方が汚いと言って斬殺するが、殺されたウケモチ神(保食神)の体から、栗・稗・稲・麦・大豆・小豆等の穀物の種が穫れる(穀物起源神話、その他にも牛・馬・蚕など)。

これは、穀物の死(刈取り)と種子の誕生(収穫)という死と再生(復活)が、月神と深く係わることを示す神話である(月の満ち欠けする様と、死と再生の反復を重ねて見ていたのであろう。これは、太古から人々が月に対して持ち続けていた月の神秘のイメージである)。

そうした考えが、生命の源泉である水と結びつき、日本では古くから月神が若返りの水(魂を若返らせる霊力の水)をもたらすとする信仰が生まれた(正月の若水汲み、東大寺二月堂のお水取り、穢れを祓う水)。

『万葉集』には「天橋も 長くもかも 高山も 高くもかも 月読(つくよみ)の 持てる変若水(をちみず) い取り来て 君に奉りて 変若(をち)得しむもの」(天の橋がもっと長いなら、高山がもっと高いなら、月の神の持っている若返りの水を取ってきて、あなたにさしあげて若返らせてあげるのに)(巻十三・三二四五)と若返りの水の伝承が歌われており、この神が生命力への信仰と深い関わりを持っていたのであろうことが推察される。

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注1)月神・ツクヨミ命は、黄泉の国から戻ったイザナギ命が、禊祓をして生まれた三貴子の一柱である(世界の神話では、太陽神は男神で、月神は女神とされるが、日本の神話では反対である)。アマテラス、スサノヲ命と兄弟神になる。『記・紀』神話では、太陽信仰のアマテラスを中心とした神統譜が作られたので、月神・ツクヨミ命の存在は薄くなってしまった。

しかも、ツクヨミ命に関する神話はほとんどなく、『日本書紀』に、ウケモチ神(保食神)が口から穀物・獣などを出してもてなそうとしたのを見て「きたないことをする」と言って殺してしまったとしている。それに対して、アマテラスは「悪しき神なり」とツクヨミ命の所行に怒り「もうお前には会いたくない」と言ったとしている。

そのため月は太陽の出ていない夜にしか輝くことができなくなり、太陽と月は昼と夜に別れて輝くようになったとする「昼夜起源」説話とされるのである。ただし、この説話は『古事記』ではスサノヲ命がオオゲツヒメ神(大気都比売神)を斬殺したことになっている。

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◆秋の風情、仲秋の名月、月見と十五夜(五)

◆秋の風情、仲秋の名月、月見と十五夜(五)

◆◇◆仲秋の名月(旧暦八月十五日)、古代の月と祭り

古代(太古の昔より)、人々にとって、祭りは互いの連帯を強め、地域や集落の結束を固める上で、とても重要な行事であったと想像でる。なかでも、先祖を祀る祭りと自然の恵みに感謝する祭りは、地域や集落の一大イベントであったのであろう。共通の先祖を確認することによって、互いの同胞意識(連帯感)を高めたに違いない。そして秋の収穫が終わると、祭りはピークを迎えるのだ。

酒(果実酒)が振る舞われると、人々は夜通し歌い踊り、そして恵みをもたらした自然の神々に感謝するのである。そしてその次の年もよき年であるよう、豊饒を祈願する「神祭り」を行った。その際、空には大きな満月が煌々と光り輝いていたはずである(※注1)。それは古代(太古の昔より)において、毎月の満月が特別な節目(祭り、ハレ)であったのだ。当時の月は今よりも空気が澄んでいる分大きく、くっきりと鮮やかに、自分たちを包み込むように見えたのであろう。

少しずつ欠けていく月(※注2)は、厳しい冬の到来がそこまで来ていることを知らせてくれた。だからこそ、秋の満月の夜には不安をかき消すかのように、人々は酒を飲み、夜通し歌い踊りあかしたのであろう。その名残が、「芋名月」や「豆名月(栗名月)」として受け継がれてきているのである(月祭り、満月信仰、観月民俗)。

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注1)古代(太古の昔より)、月が全く出ない夜というのは、恐ろしい物の怪(鬼や魔物)の住む闇の世界であった。闇夜は、古代人にとって何よりも怖いものであったのである。そうしたとき、人々は一所に集まり、一晩中騒ぎまわって闇の恐ろしさを紛らわしたのであろう。それだけに明るい月が上って、煌々と住居の中まで照らしてくれる夜は、どんなにか人々の不安をかき消し、心を安らげたことであろうか。

(※注2)月は規則的に満ち欠けし、その周期的な運動は何かの霊威を、人間や大地に確実に照射しているかのように感じ取れる(感じ取られていたのであろう)。古代、月の満ち欠けは、月の「死と再生~満月~死と再生」という、死と再生をくり返す姿と捉えられていたのだ。そして、その月の霊威の最盛期が満月の夜であったのである。古代の人々は、満月の夜、世界と人間のすべては月の最大の生エネルギーを浴びると考えた。これが本来の月見だったのである。(月祭り、満月信仰、観月民俗)。

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◆秋の風情、仲秋の名月、月見と十五夜(四)

◆秋の風情、仲秋の名月、月見と十五夜(四)

◆◇◆仲秋の名月(旧暦八月十五日)、月祭り(陰暦九月十三日)
陰暦九月十三日には宵から姿を現わす月のもと、秋の収穫を神々に感謝する月祭り(月を祀る神祭り)が行なわれ、酒を神と酌み交わして楽しむ風習が生まれた。中国では古来、陰暦八月十五日を「仲秋節」とし「観月の宴」を催していた。

これが奈良・平安期の日本に伝わり、宮廷では陰暦八月十五日の夜の「仲秋の名月」と、陰暦九月十三日の夜の「月祭り(月を祀る神祭り)」と、二つの月見が催されるようになった。

種々の供物を供えて名月を賞で、月見酒を酌みながら、詩歌管弦、舞楽、歌合せなどを行い、あるいは風流な前栽(せんざい=庭の植え込み)をつくり、広大な池泉に船を浮かべて月見をするなど、洗練された風雅な遊びと化していった。

鎌倉・室町時代になると武士が台頭し、庶民も次第に力をつけるようになって、月見の風習は武家や庶民へとひろがり、再び古代の農耕儀礼(※注1)と結びついた風習に返っていったようである。

たわわに稔った稲の初穂(これが後にススキに変わったといわれている)、里芋、枝豆、団子と共に、新米で醸した酒を供え、神々に豊作を感謝し、月見酒を神と酌み交わす行事が定着した。その後、月が出る前に空が明るくなる「月白(つきしろ)」は、仏達の御来迎だと考えられるようになった(※注2)。

また、いにしえの日本人の月に寄せる想いは熱く、たくさんの美しい言葉を生み出した。十五夜への期待がふくらむ前夜は「待宵(まつよい)」、月は「小望月(こもちづき)」、待ちに待った当夜、雨や雲で見えないことを「雨月(うげつ)」「無月(むげつ)」などと称し、日毎に表情を変える月の風情を愛でてきた。

こうした風情は、「月々に 月見る月は 多けれど 月見る月は この月の月」(中秋の名月がすばらしいのは、秋になると空気が乾燥し、月が鮮やかにみえるからだ)などといって月は古くから詩吟や俳諧の題材にもされてきた。

さらに、十五夜から日がたつにつれて少しずつ欠けてゆく月を神聖視し、次第に遅くなる月の出を、十五夜の次の月は「十六夜(いざよい)」、十七夜の月を「立待(たちまち)」、十八夜の月を「居待(いまち)」、そして十九夜の月は「寝待(ねまち)」または「臥待(ふしまち)」、二十夜の月は「更待(ふけまち)」・・・、また二十三夜の月「二十三夜待」と続く。

このように、ひたすら月を待つしきたりが生まれた。「十三夜」は、翌月の陰暦九月十三日の月をいい、枝豆や栗を供えてお月見する、最後の名月である。こうして日本人は自然と心を通わせ合い、宴(風雅な遊び)を楽しんできたのだ。

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注1)暦のない昔は月の満ち欠けによっておおよその月日を知り農事を行なっていた。そこで、十五夜の満月の夜は祭儀の行なわれる大切な節目でもあった。地方によっては稲穂を供える「稲草祭」や新しく採れた芋を供える「芋名月」などの風習もあり、農民の間では農耕行事と結びついて収穫の感謝祭としての意味も持っていた。特に芋(里芋)を供える風習は、それが主食だった縄文時代にまで遡るといわれている。

(※注2)民俗学者の折口信夫は「お月見に信仰の意味合いがあるのは、月が出る間際の空のほのかな明るみ(「月白(つきしろ)」)に、左右に観音・勢至両菩薩を従えた阿弥陀如来の来迎を拝することができると信じたから」と考えていた。夜が更けて出る月を神聖視して、陰暦八月十五日の月「十五夜」を一番としたが、前夜、陰暦八月十四日の月を「待宵(まつよい)」、満月の翌日の月を「十六夜(いざよい)」などと称して信仰と観賞の対象とした。

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◆秋の風情、仲秋の名月、月見と十五夜(三)

◆秋の風情、仲秋の名月、月見と十五夜(三)

◆◇◆仲秋の名月(旧暦八月十五日)、十五夜「芋名月」と十三夜「豆名月」

仲秋の名月の日、全国各地の神社では、秋の風情を楽しむ観月祭(かんげつさい)が行われる。また、十五夜に次いで月が美しいといわれた十三夜 (旧暦九月十三日) にも、月見の宴が催された。里芋とつながりのある十五夜を「芋名月」と呼ぶのに対し、豆、栗の収穫時期と重なる十三夜を「豆名月」、「栗名月」ともいい、これらはお菓子の銘にもなっています。なお、「片見月 (かたみづき) 」といって、十五夜だけを鑑賞して、十三夜を見ないことを忌む考え方も江戸時代後期には見られた。

秋は無事に育った稲を収穫する喜びの季節である。各地の神社では、秋の収穫を感謝する秋祭りが行わる。秋祭りでは、その年初めての新穀=初穂(はつほ)を神さまに感謝の気持ちを込めてお供えする。神さまへのお供物を初穂と総称するのはこのことに由来する。これから全国で、秋祭りが行われていく。

◆◇◆仲秋の名月(旧暦八月十五日)、満月と祭り、満月信仰と観月民俗

月見については、いまでは中秋のものだけが特別扱いされるだけだが、もともとは毎月の満月が特別な節目(祭り、ハレ)であったようだ。旧暦一月十五日に小正月というものがあるが、実は元旦の正月は官製のもので、民衆レベルでは小正月こそが正月である。民衆レベルでは毎月の中心は満月の夜であったのだ(古来より、月見は毎月の「小さな」正月であった)。

古代、月が全く出ない夜というのは、恐ろしい物の怪(鬼や魔物)の住む闇の世界であった。闇夜は、古代人にとって何よりも怖いものであったのである。そうしたとき、人々は一所に集まり、一晩中騒ぎまわって闇の恐ろしさを紛らわしたという。

それだけに明るい月が上って、煌々と住居の中まで照らしてくれる夜は、どんなにか人々を安らげたことであろう。月の満ち欠けを暦代わりにして農耕を営んでいた古代人にとって、月は農耕の神として信仰の対象であり、月に寄せる想いは今日の私たちが考える以上に深いものがあったようだ。

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◆秋の風情、仲秋の名月、月見と十五夜(二)

◆秋の風情、仲秋の名月、月見と十五夜(二)

◆◇◆仲秋の名月(旧暦八月十五日)、名月を観賞する習慣、古来からの農耕儀礼

仲秋の名月(旧暦八月十五日)には、各地でお月見の行事(すすきや団子などを供え月を観る行事)が行われる。仲秋とは八月のことで、満月が十五日にあたる(※注1)。古来中国では、十五夜を「仲秋節」と称し、月餅(げぺい)などを供えて月見をする風習があり、それが奈良時代にわが国に伝えられたとされている。平安時代、貴族の間では十五夜の満月をめでつつ詩歌や管弦を楽しむことが盛んになった。次第に武士や町民へと広がっていった(※注2)。

しかし一方では、中国から伝わる以前に、わが国独自の農耕儀礼が行われていたという説もある。暦がなかった時代(この行事の起源はかなり古く)、農事は月の満ち欠けによって進められ、なかでも最も大切な節目とされた十五夜(陰暦八月十五日の満月)には、稲作が伝わる以前からよく食されていた里芋の収穫の感謝祭などが行われていた。元来は豊作の象徴である満月に秋の七草や団子、季節の野菜などを供えて、月を祭る神祭りの日であったと考えられている。

団子は、古くは日本の代表的食物で、ちょうどこの頃出る里芋を炊いて供えたのが原型とされ、秋の名月を今でも「芋名月」と呼びならわし、里芋などを供える地域が多いのは、その名残といわれる。現在、関東の丸形のだんごに対し、関西では里芋形のだんごが供えられるのも、月見の古い形態にちなんだもののようだ。また、すすきの穂を供えるのは稲穂の変化した形ともいわれている。

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注1)一年には「春夏秋冬」の四季があるが、旧暦では三ヶ月毎に季節が変わり、「一・二・三月」は春、「四・五・六月」は夏、「七・八・九月」は秋、「十・十一・十二月」は冬となる。そしてそれぞれの季節に属する月には「初・中(仲)・晩」の文字をつけて季節をさらに細分するのに使った。

たとえば旧暦四月は「初夏」となる。このように当てはめると、「八月」は秋の真ん中で「仲秋(中秋)」となる。旧暦は太陰暦であるから日付はそのとき月齢によく対応しますから、月の半ばである十五日はだいたいにおいて満月になる。新暦では九月中頃過ぎにあたる。

(※注2)このような月の美しさを観賞するという美意識は、西欧などにはあまり見られない。元々中国の習俗であったが、日本の豊かな自然風土と四季移ろいの中で、日本独特の文化を作り上げた(日本という風土の中で、季節の移り変わりを感じ取り、それを楽しむ。日本人が持ちえた繊細で豊かな感性である)。

八月十五日の夜の月を観賞するのに、里芋の子の皮をつけたままで蒸した衣被を盛って供えたところから「芋名月」と呼ばれた。宇多天皇が寛平九年(八九七年)、宮中に観月の宴を催されたのが発端となり、月見に団子を供える習慣が出来、芒、芋等と共に三宝に十五個盛る。今日の月見だんごは、これに由来したものだ。

次第に武士や庶民へと広がり、月神や玉うさぎの絵像を掲げ、日が暮れかかると、月の出る方向に台を据える。そして、秋の七草を生け、酒・団子・里芋などをお供えし、女性は月に向って礼拝したのち、宴を開いた。又、旧暦九月十三日の夜を「後の月」といって枝豆や栗を供えた。仲秋の名月とは趣きも異なる日本特有の行事である。これを「豆名月」と呼ぶ。

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◆秋の風情、仲秋の名月、月見と十五夜(一)

◆秋の風情、仲秋の名月、月見と十五夜(一)

◆◇◆仲秋の名月(旧暦八月十五日)、月見と十五夜 、月の風情を愛でる

お月見はやっぱり秋、深く澄んだ天空にぽっかりと浮かぶ月・・・。空気が澄む秋は、月をさらに美しく深く鮮やかに見えるからであろうか。

詩歌の世界では、古来「月」といえば、秋の月を指す。これは、「花」といえば、春の桜を指すのと同じである。そして、「名月」といえば、陰暦八月十五日(新暦では九月中旬、今年は十月六日)夜の「中秋の満月」、「十五夜」をいう。できれば、先人にならって風雅に月を眺めてみたいものだ。

いにしえの日本人の月に寄せる想いは熱く、たくさんの美しい言葉を生み出した。十五夜への期待がふくらむ前夜は「待宵(まつよい)」、月は「小望月(こもちづき)」、待ちに待った当夜、雨や雲で見えないことを「雨月(うげつ)」「無月(むげつ)」。

そして十五夜の次の月が「十六夜(いざよい)」、十七夜の月を「立待月(たちまちづき)」、十八夜は「居待月(いまちづき)」、そして四日目の月を「臥待月(ふしまちづき)」と呼び、日毎に表情をかえる月の風情を愛でてきた。

また陰暦九月十三日の月を「十三夜」「名残りの月」と呼び、十五夜とならべて祭る習俗もあり、どちらか片方の月しかみない「片月見(かたつきみ)」は縁起が悪いという地域もある(十三夜を見ないことを忌む考え方は江戸時代後期にも見られた)。「栗名月」の名もある十三夜の風習は、中国にはない日本独自のものである。

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◆【神社Web制作工房】の想い

◆神社専門ホームーページ制作【神社Web制作工房】の開始

日本には神社が約8万1千社あまりあります。お寺は7万7千寺です。なんと沢山の数の神社があることでしょうか?

全く別ですが、コンビニは全国に4万~5万店舗あるそうです。

コンビニは、地域の人々にちょっとした食品や日用品の買物になくてはならない存在として役立っています。

神社はコンビニとは違いますが、昔から地域の人々にとって、心の支えとして存在としてなくてなはらない存在だったのではないでしょうか?

今日、神社と地域の人々との関わりが薄らいできているように思います。氏子さんや一部の人々にとってはかけがえのない存在ではあると思いますが………

コンビニ以上に神社の存在には大切な物があります。それは地域にとっての精神的な拠り所であり、一人ひとりの生い立ちの拠り所でもあるのです。

現在の日本を見ると、日本人は自らに対して自信を失ってしまっているように思えます。戦後は、経済的な発展が日本人の自信を支えていましたが、今日のような経済的停滞あるいは衰退は唯一の自信もなくし、益々自信喪失な状態になっています。

しかし、本体はあるべき姿として自らの日本と日本人であることに自信を持つべきだと思います。

戦後は日本文化・日本精神を否定し、ただただ経済的繁栄のみを価値観としてきたから、自信をなくしてしまっているのです。

日本の文化、日本の精神に、自信と誇りを取り戻す時代になったのではないでしょうか?

日本には他国に劣らない人を魅了する文化と精神があります。

今一度、その文化と精神に気づき、自らに自信を取り戻してもらいと思います。

そのためには、神社が本来保持してきた日本の精神と文化の魅力を、おおいに情報発信して貰いたいと思います。

地域と人々と神社とをつなぐ役割を、Webを活用してお手伝いをするのが神社専門ホームページ制作会社【神社Web制作工房】です。

私たちは、神社と地域と人々を結びつけることで、日本を日本人を元気ある自信を持つ状態にしたいと思います。

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◆神社サイト制作の想い

◆人々はモノからコトを求め始め、神社・日本文化の見直しが始まってきた。

現在のような高度に成熟した日本においては、モノそのものの所有欲から精神的満足であるコトへの欲求が益々高まってきました。

その一つの現れとして自国の文化・歴史への関心であり、そうした歴史的・文化的なコトという欲求が顕著に表面化してきています。

例えば、「源氏物語千年紀」のイベントや「平城遷都1300年祭」のイベントの高まりです。また中高年女性の中で教養として「万葉集」が読まれ、静かなブームとなっています。

戦後の日本・日本人は、物質的に発展成長し豊かになることが目標で頑張ってきました。しかし物質的に豊かになりましましたが、精神的には大切なコトを忘れてきたようにも思えます。

それは、「自らの拠り所」、「依って立つ場所」、「日本人としてのアイデンティティ」、「日本人の精神的故郷」など、大切なコトを見失っってしまった根無し草のような、ただ漂うような、浮ついた軽い存在に見えるからです。

私たち日本人の意識の中には、太古から今日に到るまで、この豊かな水と森の日本列島という風土に育まれてきた精神と文化があります。それは、自然と柔らかな関係を結び自然と共に生きることを選択した日本人の知恵でした。

ますは、私たちの文化と歴史を知り、この日本列島の風土の中で創りだしてきた精神を自覚することが必要だと思います。

日本文化や歴史には、人を魅了し心を惹きつける、他国にも誇れる魅力が存在します。この魅力ある日本の文化と歴史を多くの人達に知ってもらい、関心興味をもってもらいたいと思います。

中でも、日本の精神と文化を保持してきた神社を、人々にとって存在感のある・価値ある・魅力あるものにしていきたいと強く思います。

神社専門ホームページ制作会社【神社Web制作工房】は、神社と地域と人を結びつける仕事を通して、神社から、人々へ、地域へ、世界へ、魅力ある価値ある情報を発信をするお手伝いをしていきます。

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